今月12日は中秋の名月、十五夜です。残暑が長引かず、ちょっとは涼しくなっていて気持ちよく月が眺められるといいですね~(笑)月を見て楽しむ「月見」は、日本では特に旧暦8月15日と旧暦9月13日に月を鑑賞することを指すことが多いようです。前者の夜または月の状態は「十五夜(じゅうごや)」、後者は「十三夜(じゅうさんや)」と呼ばれています。中国や日本では、単に月を愛でる慣習であれば古くからあったようで、日本では縄文時代頃からあると言われています。中国から仲秋の十五夜に行われる月見の祭事が伝わると、平安時代頃から貴族などの間で観月の宴や、舟遊び(直接月を見るのではなく船などに乗り、水面に揺れる月を楽しむ)が行われるようになりました。平安貴族らは月を直接見ることをせず、杯や池にそれを映して楽しんだのです。風流ですよね~(笑)旧暦8月(グレゴリオ暦では9月頃)は、北半球では太陽と月の角度が観月に最も良い時節になります。日本では月が見える場所などに、薄(すすき)を飾って月見団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、御酒を供えて月を眺めました。
古代の多くの文化圏で、うさぎは「月の動物」とみなされています。これは満月の時に月面に見える影の模様が跳ねるうさぎ見えることからだと言われています。中国では、古くから月のうさぎは不老不死の薬を調合するために、桂枝を乳鉢ですりつぶしていると考えられてきました。その為、長寿のシンボルとされています。ケルト文化や仏教圏、古代エジプトにおいてもうさぎは月と結びつけられてきました。仏教説話の中では、下記のお話しが有名です。
猿、狐、兎の3匹が、力尽きて倒れている老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。このお話は、老人が仏陀となっているものもあり、そこから「うさぎ」は仏の救いを信じて行う自己犠牲のシンボルになりました。
そしてマヤ文明やアステカ文明で「うさぎ」は、20日を1周期とする暦(ツォルキン)の8番目のシンボルであり、幸運のシンボルでもあります。毎月、かのんで開催している新月瞑想会でもマヤのツォルキン(暦)は大切な鍵になっています。先月29日の新月が8番目の日、「黄色い星」でした。この新月の日の鍵になったのが、数字の「8」と「うさぎ」。そこからうさぎの探求が始まりました(笑)
「黄色い星=ラマト」はキチェ語で「種、食物、播種、発芽、命、愛の創造」の象徴で、土地の再生、トウモロコシの成長のような生死の繰り返しのシンボルです。また、生気、豊穣を意味します。数秘術の中で「8」にも「死と再生」という意味があります。そして、「うさぎ」は発情期がなく、いつでも妊娠できることもあって「多産、豊かさ」のシンボルと言われています。ラマトは植物と種をもつ生き物すべてに関係している日と言われています。自然、植物、生物、とりわけトウモロコシの4色を与えてくれた「天の心(Corazon delCielo)」と「地の心(Corazon de la Tierra)」に感謝をする日。また、ラマトは出産と妊娠した女性の日でもあり、人類と動植物の豊穣のエネルギーです。ラマトの祭事では、母なる自然がもたらしたもの、つまり植物、生命、雨、食物などすべてに感謝をします。播種と収穫に感謝をし、子孫繁栄を願います。そして、また、何か失くしたものを奪回、再開するのに適した日でもあるといわれています。
マヤンオラクルカードのメッセージによると、ラマトの【主な意味】はうさぎで、【性質】は調和、スターシード、道案内人、オクターブ、調和的な組み合わせ、広大な愛、曇りのない視点、五次元への入り口、星で結ばれた縁、優美さです。メッセージは下記の通りです。「あなたはスターシード、自分の本当の運命を内に秘めた『星の種子』です。ラマトは道案内人…輝く星屑をたどりながら、星の故郷に帰りましょう、と呼びかけています。これまでの自己像を手放し、もっと広い視点から自分を見つめましょう。あなたの見方、聞き方、あり方を変えて、大きく飛躍するのです。ラマトは跳躍台…あなたを文字通り、全く違う周波数に移行させてくれます。それはちょうど望遠鏡のように、地球では通常感知できない、はるか彼方のメロディやハーモニーにズームインさせてくれます。ラマトは五次元周波数への入り口を表しています。このカードを受け取ったなら、昔、星で縁のあった人々が約束された共通の目的を果たすためにあなたのもとに引き寄せられるかもしれません。今こそ、高次のスピリチュアルな使命を達成するために、さまざまな人々が出会う時です。
古代ギリシアの数学者、哲学者であるピゥタゴラスは宇宙を次のようにとらえていたと言われています。ピゥタゴラス派では、宇宙は同心球の三つの領域にわけられており、一番遠い領域はオリュンポスと名付けられた恒星の世界。二番目はコスモスで、太陽、月、惑星などが運動している領域。第三が、ウラノスと名付けられ、月下の領域を示していて、地球はこの第三の領域に属しています。物質の変化や運動などは、この第三領域ウラノスで起こると考えられていて、四元素(火・風・水・土)の作用・反作用のなせる業なのです。しかし、第二領域以上の世界では、第五元素(quintessence)が支配的に働いており、そこではあらゆるものが不滅のものと考えられました。今日的な精神宇宙論では、オリュンポスは土星外惑星群で、コスモスは土星内軌道の惑星、ウラノスは地球の大地とみなしているそうです。まだ、天文学が十分に発達していない時代の宇宙論は現在ではかなり荒唐無稽に見えるかもしれませんが、むしろ、天文学的観測が不十分であった故に、宇宙に人間の精神構造がリアルに投影された、かなりメンタルな宇宙構造であるといえるでしょう。ピゥタゴラス時代の月下には世界を構成する四つの元素があり、月上には人間の生命を表す第5元素があると考えられました。それを表した図形が、ギザのピラミッドと言われています。リュック・ベッソンはこの考えをもとにして、「フィフス・エレメント」という映画を作りました。第五元素はそれを支える四大元素のひとつにでも偏りがあればうまく形成されません。火は霊性、風は思考、水は感情、地は肉体、物質。たいていの人はこの四元素の内どれかに過剰に肩入れして人生観を創り出しています。全てを均等に評価して微妙なバランスを取るその上に第五元素は成り立つのです。
ここで思い出すのが、中国では、古くから月のうさぎは不老不死の薬を調合するために、桂枝を乳鉢ですりつぶしていると考えられているというお話です。ピゥタゴラスによると、月上より上の世界では、第五元素が支配的に働いていて、そこではあらゆるものが不滅であると言われています。繋がっていますよね~(笑)そして、マヤ暦の黄色い星=ラマト=うさぎも五次元への入り口であり、スターシード、道案内人でした。
では、日本神話の中の「うさぎ」を見てみましょう。大阪人の私に馴染み深いのは、なんといっても住吉大社のうさぎさん。殆どの神社の手水舎は龍の口から水が出ていることが多いと思うのですが、住吉さんではうさぎの口から水が出ています。それは住吉大社と関わりが深い、神功皇后がお祭りされた日が卯の日であり、住吉大神のお使いが「うさぎ」とされているからなのだそうです。住吉大社は海の神である住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)と息長足姫命(神功皇后)を祀り、「住吉大神」と総称されています。伊奘諾尊が、黄泉の国の穢れを清めるため、筑紫の日向の橘の小戸の檍原で禊をして、水底で身をすすいだときに出現したのが底筒男命(そこつつのおのみこと)。このとき、水中では中筒男命(なかつつのおもみこと)が、水上では表筒男命(うわつつのおのみこと)が現れました。この3柱の筒男神が住吉大神であり、住吉大社の3座の祭神であります。3神は、神功皇后に神懸りして三韓出兵を指示し、また皇后の男子(応神天皇)出産を予言します。皇后の新羅征討に際しては、この神の和魂は皇后の守護を、荒魂は軍船の先導をしました。新羅平定後、荒魂を穴門の山田邑(下関市一の宮町の住吉神社)に、和魂を摂津の住吉郡(大阪の住吉大社)に祭ったといわれています。
住吉大社の御鎮座が、神功皇后摂政11年辛卯の年、卯月の上の卯日であると伝えられていて、卯の花は住吉大社に最も関係の深い花となっています。そして「うさぎ」も。そして興味深いにが、住吉三神の神名の「つつ」は星のことを表わしていて、この三神はオリオン座の三ツ星の神格化という説もあるのです。海上での方角を知るための目印となった重要な星だから、そうであっても不思議ではないですよね。そして、東の海から登って、西の海へ沈むオリオンは、海で産まれた神にふさわしいかもしれません。また、ここでも住吉大神=うさぎ=道先案内人、星との繋がりが見えてきます。そして、なんといっても今年2011年の干支はうさぎ。その卯月の卯の日は、3月13日(日)でした。
この「卯」に関係する神社は住吉大社だけではありません。日本最古の神社と言われている三輪神社でも繋がりが深いのです。『卯』と三輪神社とのご神縁は古く、第10代崇神天皇の御代に遡り、疫病の大流行、人々逃散など、国の情勢が容易でなくなった時、天皇はご神意をお伺いになり、そして当社の大神さまである大物主神を鄭重にお祀りされると、大難は治まり、国は平安となり、富み栄えたことが『日本書紀』に記されています。このお祭りが行なわれたのが、卯の年・卯の日であるところから、ことのほか『卯』が重要視され、以来ご神縁の日として、また大神様のご神威が最も高まる時として、毎月卯の日祭が今に奉仕され続けています。なかでも卯の年・卯の月・卯の日は三つの卯が重なる大吉年として12年に一度『三卯大祭』が執行され、ご神前の黒木の案上に、特別に調達された卯杖が奉献され平和な世を願い、国の隆昌と人々の安全、繁栄が祈願されます。卯杖は古式に則り、木瓜・柊・桃・梅・椿・榊の六種で調えられます。この卯杖は、依代であり瑞兆として、また、五穀豊穣を祈る斎物とされているものです。「なでうさぎ」は、戦前に大鳥居から少し東にある一の鳥居にあった大燈籠の一番上で卯の方(東方)、つまり三輪山を向いていました。大燈籠は戦時中に供出されましたが、「なでうさぎ」は参集殿へ移され、現在に至ります。「なでうさぎ」を撫でると御利益があり、特に手や足などの痛みを取ってくれるといわれています。
三輪神社の境内の中に「巳の神杉(みのかみすぎ)」と言われる杉の木があります。江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の崇神天皇10年9月条に、「小蛇(こおろち)」と記され、『同紀』雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが「大蛇(おろち)」であったと伝えています。いずれも、三輪の神がその原初的形態として、蛇神であると信じられていたことを示していると考えられます。三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと考えられています。三輪の神、大物主神について、文献で最初に記述されるのは、 我が国最古の歴史書、『古事記』の上巻にあります。それによれば、大国主神が、自分と協力して、ともに国造りに励んできた少彦名神がなくなられ、 独りしてどうしてこの国を造ればよいか思い悩んでいた時、「海を光(てら)して依り来る神」が あった。その神が、「我がみ前をよく治めれば協力しよう」と申し出た。これに対し、大国主神は、「お祭り申し上げる方法はどうしたら良いのでしょうか」と問うたところ、その神は、「自分を倭(やまと)の青垣、東の山の上に斎きまつれ」と希望した。その後に、「こは御諸(みもろ)の山の上に坐す神なり」と記されています。つまり大和の国の周囲を垣のように取り巻いている青山のその東方の山上、三輪山にお祭りした神が、 三輪の神であり、これが大神神社ということであります。
ここで「うさぎと月」の関係を思い出します。月が海の満ち引きや、地球上の水に影響を与えていることから、海からやってきた神、水の神である三輪神社にうさぎが関係するのも自然なことなのかもしれません。海の神である住吉大社にうさぎが関わっていることも。黄色い星のラマト=うさぎも、命と豊かさを表していました。「水」こそ、命と豊かさの象徴ですものね。
また、三輪神社で行われる6月30日の「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」は、「人形(ひとがた)」で体を撫で、祈祷殿前に設けられた「茅の輪」をくぐり、上半期に付いた罪穢を祓い、下半期を元気よく過ごせるよう祈る神事です。拝殿前斎庭には故事に因んだ三つの茅の輪、みわの茅の輪が設けられ、おもしろいくぐり方をします。まず①をくぐり、次に②をくぐり、さらに①をくぐり、③をくぐり、最後に①をくぐります。8の時を描くようにくぐるのです。ここでも「8」が出てきます。
うさぎを連想する「宇佐神宮」は、住吉大社に祭られている神功皇后の息子、応神天皇(八幡神)が祀られている神社です。ここでも「卯の日」が大切にされています。伝承によると、欽明天皇の29(569)年、宇佐神宮境内の菱形(ひしがた)池のほとりの泉のわくところに、ひとつの身体に八つの頭という奇異な姿の鍛冶をする翁があらわれて、この姿を見た者はたちまち病気になったり死んだりしました。大神比義(おおがのひぎ)が見に行くと老人の姿なく、かわりに金色の鷹(たか)が見えました。比義が『誰かによって鷹に変えられたのか、自分の意志で鷹になったのか』と問うと、鷹は金色の鳩(はと)となって比義の上にとまりました。神が人を救済されようとして自ら変身されたことを知った比義が、3年あまり断食をして祈り続けたところ、ついに鉄明天皇32(571)年2月初卯の日に、この泉のかたわらの笹の上に光かがやく3才の童子があらわれ『われは誉田の天皇広幡八幡麿(ほんだのすめらみことひろはたのやはたまろ)なり。わが名は護国霊験威力神通大自在王菩薩(ごこくれいげんいりょくじんつうだいじざいおうぼさつ)で、 神道として垂迹せし者なり』と告げられました。また、「8」と「うさぎ」がつながります。
御祭神である八幡大神は応神天皇のご神霊で、応神天皇は大陸の文化と産業を輸入し、新しい国づくりをされた方です。八幡信仰とは、応神天皇のご聖徳を八幡神として称(たた)え奉るとともに、仏教文化と、我が国固有の神道を習合したものとも考えられています。ここで、うさぎと仏教とのつながりも出てきます。ここ宇佐神宮でも祭られている神功皇后はうさぎと切っても切り離せない関係の様です。そして、宇佐神宮は御神託の神としても有名です。住吉三神も託宣神として言霊の性格をもっています。住吉三神のお使いである、うさぎはマヤでも道先案内人だったように、メッセンジャーとしての働きもあるのだと思います。一説には、この宇佐神宮は因幡の白ウサギとの関係あるとされており、この白ウサギも助けてもらった大国主に御神託を与えているのです。
鵜戸神宮と「卯」の御神縁も古く第十代崇神天皇の御代まで遡ります。そして、毎月「初の卯の日」が御神縁の日として御神威が最も高まる日とされています。鵜戸神宮は宮崎県日南市にある神社で、日向灘に面した断崖の中腹、東西38m、南北29m、高さ8.5mの岩窟(海食洞)内に本殿が鎮座し、参拝するには崖にそって作られた石段を降りる必要があり、神社としては珍しい「下り宮」のかたちとなっています。日本神話で有名なお話しで、「竜宮城」のお話しの元になったと言われている謂われがあります。山幸彦(彦火火出見尊)が、兄(海幸彦)の釣り針を探しに海宮(龍宮)に赴かれ、海神のむすめ豊玉姫命と深い契りを結ばれた。山幸彦が海宮から帰られた後、身重になられていた豊玉姫命は「天孫の御子を海原で生むことは出来ない」とこの鵜戸の地に参られた。霊窟に急いで産殿を造られていたが、鵜の羽で屋根を葺終わらないうちに御子(御祭神)はご誕生になった。故に、御名を「ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」と申し上げる。トヨタマヒメは産む時に龍の姿に戻られたとも言われていて、この息子から天皇家が続いていくことも興味深いです。そして、主祭神の産殿の址とされる洞窟内に「なでうさぎ」があります。産み=海=うさぎがまたここでも見られます。
アリスがうさぎを追っかけて穴の中に落ちて行くと、そこにパラレルワールドがあったように、うさぎを追っかけて行くと、そこには不思議なつながりが見えてきました。わかりそうで、後もう一歩わからない不思議な繋がりです。「黄色い星=ラマト=うさぎ」は私の中では「海の星(ステラマリス)~星の秘密の開示」に繋がっていくのですが、まだはっきりとはしていません。
ここでラマトのメッセージをもう一度!
「あなたはスターシード、自分の本当の運命を内に秘めた『星の種子』です。ラマトは道案内人…輝く星屑をたどりながら、星の故郷に帰りましょう、と呼びかけています。これまでの自己像を手放し、もっと広い視点から自分を見つめましょう。あなたの見方、聞き方、あり方を変えて、大きく飛躍するのです。ラマトは跳躍台…あなたを文字通り、全く違う周波数に移行させてくれます。それはちょうど望遠鏡のように、地球では通常感知できない、はるか彼方のメロディやハーモニーにズームインさせてくれます。ラマトは五次元周波数への入り口を表しています。このカードを受け取ったなら、昔、星で縁のあった人々が約束された共通の目的を果たすためにあなたのもとに引き寄せられるかもしれません。今こそ、高次のスピリチュアルな使命を達成するために、さまざまな人々が出会う時です。」
最後まで読んで頂いて有難うございました。また、この先に新しい発見があったら続きを書きたいと思います。 |