今回は33という数字について考えてみたいと思います。33と言えば、3月3日の雛祭り。もともとこの日は中国では桃の節句、五節句のひとつの「上巳の節句」(じょうしのせっく)。「上巳」(じょうし)は、「じょうみ」とも呼ばれ、
3月の初めの巳の日をいいます。この日、水辺に出て不祥を除くための禊(みそぎ)祓(はらえ)を行い、宴会を催してお祝いをしました。
古代中国では、初めは巳の日でしたが、魏の時代より3日となったそうです。中国でのこの行事のいわれは、けがれを祓い清める招魂の意味が強かったようですが、日本独特の祓(はらえ)の思想と結びつきました。日本でも「日本書紀」に「3月3日が上巳の節句」との記述が残っています。祓(はらえ)の道具として人形(ひとがた)がありました。「延喜式」にも記述されていますが、人形(ひとがた)に不浄を託して川や海に流して、災厄を祓うという風習がありました。古代からの日本の俗信仰として、自分の罪を人形(ひとがた)に託し、肌身にすりつけ、息をふきかけ、これを水に流すのです。春の新しい命の誕生に向けて、冬にためこんだいらないものを祓う。そんな日なのかもしれません。桃の節句の桃で思い出すのが「桃太郎」のお話。桃は命の誕生・神秘の象徴かもしれませんね。
女性の厄年も数えで33歳があります。厄年のルーツを調べてみると、その起源はなんと平安時代にまでさかのぼります。厄年そのものにはいろんな説がある中、中国の陰陽道からくる吉凶・禍福を占う方術という流れが色濃く残っているようです。そう、あの源氏物語の中にも、厄年について書かれたものが存在するそうです。そんな貴族たちの間で行われていた厄払いの風習が庶民に浸透したのは江戸時代。この頃になると神社やお寺で厄払いをするというひとつのスタイルが成立。いわば宗教的な流れと民間信仰の融合的なものとなり、現在もその流れを受け継いでいるようです。厄年は一つの節目。その人生の節目に対し、「精神・肉体ともに節目なので気をつけましょう」という、一つの警告。生活や健康、行動に対してちょっと立ち止まって見直す節目なのです。次の新しい展開の前に再点検。いらないものは捨てていくこと。
3は創造を意味する数字。何か新しいものを生み出す前にまず、いらないものを捨てることが大切なのかもしれません。
西国33ヶ所観音巡りに行ったことがありますが、33は観音様とも関わりがある数字です。観音信仰が一般
に広まった江戸時代中期。「法華経」の観世音菩薩普門品二十五に説かれるように、33の姿に身を変えて人々を救われる観音様の応現身と結びつきました。江戸時代の線描仏画が伝わります。33という数字は古代インドの神話「リグベーダ」から来ています。仏教の世界観にも取り入れられ、この世界の中心である須弥山(しゅみせん)の上には33の天があるとされます。
33は宇宙、神の領域を現す数字。古代の女神信仰では女性の子宮は宇宙・神とつながるところと見ていたようです。命が誕生する神秘の場所なのです。日本語でもお宮がつきますものね。
33観音の中に龍頭観音様がおられます。龍に乗っているお姿で現されます。龍に乗ることができるのは観音様だけと聞いたことがあります。龍は自然の・宇宙のエネルギーの流れを表し、それを操ることができるのが観音様かもしれません。自然界の生死に関係するのかもしれません。私達のDNAも二重螺旋構造になっています。ヨガにおいても私達の身体のエネルギーの流れをイダとピンガラの螺旋のエネルギーでとらえています。桃の節句も3月の初めの巳の日。巳(へび)→龍→螺旋 何かつながっている気がします。
シャンカリがデザインするジュエリーにも観音様のデザインがいくつかあります。シャンカリ自身も観音様のような方ですが、私が感じるシャンカリのジュエリーはどれも、観音様を感じます。つけるとエネルギーバランスが整うのか、中心が定まり安定します。自分のより深いところとつながる感覚です。それはお母さんの子宮にいたころの感覚なのかもしれません。子宮は宇宙の根源につながるゲート。シャンカリのジュエリーは私達が本来いたところ、帰っていくところにつなげてくれる、そんな感じがしています。
3月はぜひ、女性の方は自分の子宮を感じてみてください。そして、男性の方も女性の方もお母さんのお腹にいたときのことを思い出してみてください。そして、お母さんという存在をあらためて見つめてみてください。
「お母さん産んでくれてありがとう」。先月の自分の誕生日の日にはじめて母親に伝えることができました。ずっと母親との関係にテーマあった私ですが、今ようやくこの言葉が自分の内側から出てくるようになりました。ぜひ、みなさんもお母さんとの関係性について、自分の女性性について見つめてみる月にしてみてくださいね〜。
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